2008.07.02

■7月某日 新都心のメインプレイスにある「SINEMA Q」で、「ラスベガスをぶっつぶせ」を見る。娯楽エンタ―ティンメントというか、サスペンス、アクションというべきか、ジャンル分けの難しい映画だったが、それなりに楽しめる映画だった。ラスベガスを描いた映画はこれまで何本も公開されているが、この映画も実話を元にしたもので、筆者的には非常に興味深いものだった。この映画は、ブラックジャックにおける必勝法といわれる「カードカウンティング」という手法を真正面から取り上げた内容だったからだ。カジノではほとんどのゲームが偶然の数字に支配されるが、このブラックジャックだけは記憶力や基本的なテクニックを駆使すれば、確率をあげることのできるゲームだからだ。このカウンティング手法もデータに基づいて数理的に研究した学者たちの成果なのだ。
 映画の中心人物は、ボストンのマサチューセッツ工科大学のミッキー教授で、優秀な学生たちにこのカードカウンティングを極秘で特訓し、週末のラスベガスに乗り込んでひと稼ぎするという物語。ノーベル賞学者を多数輩出する名門大学の教授が、その才能を生かしてカジノでひと稼ぎするというのも、いかにもアメリカ的である。このミッキー教授に目をつけられたのが、もう一人の主役である天才的な数学力を見につけたベン。ベンはこのMITを卒業したらハーバード大学の医学部に進学することが内定している学生だ。しかし、母と二人だけの貧しい生活をおくるベンは医学部に進学するためには学費30万ドルを自力で調達しなければならない。奨学金制度やバイトでその学費をまかなうつもりだった真面目な学生が、ミッキー教授に誘われたことで人生が大きく変わり、ラスベガスでその能力を遺憾なく発揮して大金を稼ぐようになる。
 しかし、カジノの裏方としてビデオカメラでプレイヤーたちの監視を続けるコールによって、この教授グループのカードカウンティングは見破られてしまう。このことじたいは違法ではないものの、カジノ側としては企業防衛上、こうしたプロを暴力的に締め出すのが通例。筆者の知人もカウンティングがばれて、「手配書」が作られて出入り禁止になった人物もいる(苦笑)。やがて、ベンは、平日は真面目な学生、週末はラスベガスのギャンブル王という二重生活に自ら耐え切れなくなり、カードカウンティングを無視して運だけの勝負に走り大敗する。ミッキー教授はベンに激怒し、このグループは崩壊しゲームは終わる。結局、最後はベンもミッキー教授もカジノ側から手痛い報復を受けてすべてを失い、もとの振り出しにもどるというストーリーだ。映画を見て、これは数年前に読んだ本の内容とほぼ同じだということを思い出して調べて見たら、メズリックの同名のアスペクト刊のノンフィクション作品だった。
 ラスベガスは飛行機が禁煙になって以降、筆者は一度も行っていないが、昔は何回となく行った所なので街の風景や雰囲気をなつかしい思いで見た。最近は、マカオがラスベガスの売り上げを抜く成長を見せているので、わざわざ指紋と顔写真を取られた上に厳しいボディチェックを受けてまで米国に行く必要を感じなくなったためだ。沖縄でも1000万観光客誘致のために仲井真県政下でカジノ導入の是非が論じられるようになったが、今回の県議会議員選挙で推進派の自民・公明が過半数割れしたので、当分は沖縄カジノ誘致の話は立ち消えになるのではないかと思う。いずれにしても、カジノは勝つも負けるも徹底した自己責任の問題である、という大人の認識が前提でなければ成立しないゲームであることだけは間違いない。

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2008.06.29

■6月某日 二日間にわたり、「民主党沖縄ビジョン」の策定の内輪の意見交換会に参加する。58号線沿いの久茂地にある民主党沖縄県連本部に詰めた時間はあわせて7時間くらいになろうか。久々に勉強会に参加した気分である。最初にいっておくが、筆者は民主党員ではない。政党に所属した体験は唯一、学生時代の過激派時代の某セクトだけで(苦笑)、後は一貫して無所属無党派、基本はあらゆる権力の腐敗をチェックするジャーナリストの立場にあった。といっても、そこは人間だ。権力志向の強い自民党タイプよりは、社民党、民主党、野党系無所属議員の方が個人的にも知り合いは多いし、人間的にもシンパシーを感じてきたのは紛れもない事実である。日本をダメにした政治の諸悪の根源は権力亡者の自民党による長期政権とそこに寄生してきた霞ヶ関の高級官僚にあることは間違いないという認識すら持っている。
 雑誌編集長を長くやってきたのも、権力は必ず腐敗していくという古今東西の歴史が教える権力の持つ習性、本質を理解した上で、ジャーナリズムの本来持っている職業倫理に忠実であろうとした結果にすぎない。しかし、今は雑誌の歴史的使命はひとまず果たしたとの判断で、東京というメディア発信の場を離れて沖縄でセミ・リタイアー生活を選択している身である。とはいえ、「三つ子の魂百まで」というわけではないが、これまで自分が生きてきた人生とまったく無縁の生活を送るのは至難の技だ。ならば、無理なく自然に、自分が思うままに生きるのがいいのではないかという結論に達したのである。比較的、筆者の身近にいる面々にも誤解を受ける時があるのであえていっておくと、民主党を中心とした政権交代に熱い思いを抱いているのは間違いないし、それが個人的思いであることも否定しないが、もし民主党を中心とした政権が樹立されて、とんでもない政策を実施するような局面になれば、逆に全存在をかけて反対の意思表示をするのは当然のことである。
 前置きはともかく、正式な発表前なので沖縄ビジョンの詳しい内容には触れない。一応、政党の正式な会合の内容を洩らすのは、仁義に反するからだ。部外者である筆者が呼ばれているのも、オブザーバーという立場だからだろう。参加している民主党議員、次期民主党衆議院議員候補、沖縄県会議員、事務局以外のメンバーは、沖縄の行政や企業経営、組合運動のプロフェショナルばかりである。部外者のオブザーバー、しかも内地から来た移住者は筆者くらいのものである。その意味では、紛れもない政権交代派、民主党サポーターであると見られても仕方がないだろう。
 それは、ともかく、沖縄ビジョン作成にあたり民主党本部から派遣されてきたのは、この会の座長である武正公一衆議院議員(次の内閣・外務副大臣)と渡辺周衆議院議員だったが、地元の民主党議員との間に微妙な意見のズレもあった。ひとつは、道州制を巡る問題だ。民主党はいまだ道州制に関しては自民党、政府・霞ヶ関主導で便宜的に行政の区分けをしているに過ぎないので、現段階では政府案に乗る必要はないという判断。しかし、沖縄側としては沖縄・奄美を一緒にした琉球独立自治州の検討を始めている段階。民主党中央との政策の統一性を図るために、「一国二制度」や「独立自治州」という文言の明記だけは先送りされたものの、準備だけは独自に進めておく必要があるだろうと思う。
 もうひとつは、普天間基地代替施設としての辺野古新基地政策に対しても、仲井真知事や名護市の島袋市長らの沖合移動案に対して、明確に計画の中止もしくは凍結という強い反対の意志が盛り込まれなかったことだ。これも、民主党内のいろんな意見を持つグループへの配慮なのだという。せっかく、県議会議員選挙で与野党逆転したのに、新人議員としては出鼻をくじかれた格好だし、意欲の注がれる話である。民主党も組織的に大きくなったことで、官僚的にもならざるを得ない側面もあるし、党内のバランスに気を使わざるを得ない事情もあるのだろう。しかし、最終的に沖縄のアイデンティティにかかわる政治課題において対立するようなことになれば、党の中央と一歩も引かない激しい論戦を展開せざるを得ない局面も出てくるのではないかと思う。この会に参加して感じたのは、民主党沖縄県連にも若手が少しずつ育ってきたなーということだった。

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2008.06.26

■6月某日 日本の敗戦は8月15日だが、沖縄は本土よりも一足早く米軍が上陸・侵攻したため、6月23日が敗戦の記念日。沖縄では「慰霊の日」に制定され、県内各地で戦死者の霊を弔う日となっている。首里にあった軍の司令部が南部・糸満の摩文仁に後退し、その丘の中腹にあった司令部壕で日本軍第32軍司令官牛島満中将が自決したことで、日本軍の組織的戦闘が終了した日とされているのである。しかし、この司令官が自決しても、戦争の終了を知らずにその後も米軍との戦いを継続して幾多の犠牲者が出たことも事実である。牛島中将が自決によって最高指導者としての責任をまっとうしたからといって美化されるような話ではなく、軍隊という組織の持つ、部下も民間人も守らない本質的な非道さは長く記憶にとどめておくべきだろう。何せ、米軍の「鉄の暴風」といわれる凄まじい艦砲射撃は沖縄の大地を焼き付くし、街も畑も山も荒野となり、軍民20万人以上が犠牲者となったのである。教科書の記述削除で問題となった、軍の関与による集団自決、家族同士での殺し合い、日本軍が民間人を射殺するといった悲劇は、沖縄戦には数限りなく存在する。
 この日、知り合いの琉球新報OB氏と同社カメラマン氏に誘われて、南部の慰霊塔回りに出かける。沖縄に来て、初めての慰霊の日への参加だった。OB氏が知り合いのタクシーの運転手氏に依頼してくれたので、チャーターしての戦跡めぐりとなる。最初に行ったのは、糸満市米須の魂魄(こんぱく)の塔。戦争によって身元もわからない遺体3万5千人の骨が、戦争後に一括してうめられた場所である。この日、全国放送でも取り上げられ摩文仁の丘のある平和公園の平和の礎(いしじ)においても、沖縄県主催の慰霊祭が執り行われた。福田総理も出席したが、こちらは金属探知機なども設置され、厳重な警備がしかれた官による公式行事だったので、時間をずらして式典終了後にいくことにする。この魂魄の塔には、一般の遺族と思われる人々が家族連れで訪れ、食べ物や飲み物、たばこ(うるま)などをそなえて、追悼する姿が多数見られた。キリスト教系の団体や市民運動の人たちの姿も見られた。知り合いでもある「泡瀬干潟を守る会」の小橋川代表も、この場所で写真展を開いていた。その他、取材にきていた琉球新報、沖縄タイムスの女性記者にも声をかけられて、一瞬ギクッ。
 魂魄の塔から、学徒動員された県立第一高女のひめゆり舞台が、壕を出て南部の海岸で自決した場所にも出向く。きれいな海がよけい痛々しい。昼食は喜屋武岬の慰霊塔のある場所で海を見ながら、運転手さんが用意してくれた弁当を食べる。となりには、この岬で父親をなくしたという孫を含めた家族づれ7人が追悼の食事会をやっていた。戦後、63年目、いまだに沖縄の人たちの間には、悪夢のような沖縄戦が心の中に住み着いているのだろう。
 最後に、慰霊の式典が終了して、折りたたみのイスの片付けが始まっていた平和記念公園に出向く。平和の礎を現場に来て見たのは初めてだった。ここに刻まれた戦死者は24万人にのぼり、日本人だけではなく、韓国人、台湾人、米国人の礎もある。毎年のように、名前が刻まれる人たちが増え続けているという。修学旅行生や日本遺族会のバスも来ており、この日のために全国各地からやってきた人たちも多かったようだ。慰霊に日の沖縄は気温が32度以上もあり、暑くて汗ダクダクだったが、戦火の中で壕から壕へ逃げまどった人々、瀕死の重傷を負った人々はまさに死ぬ思いの苦しさを体験しただろうことが容易に想像できる。こうした戦争の記憶を風化させる動き、新たに米軍とともに戦争のできる国家体制を指向するタカ派の政治家や文化人たちの思い上がりぶりを見ていると、もはや彼らにいうべき言葉もない、追悼浸りの一日だった。
 

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2008.06.22

■6月某日 沖縄は天気もよく、すっかり真夏日。最高気温も32度もある。さっそく半ズボン半袖シャツという軽装姿で、南部にある那覇カントリークラブまでゴルフに行く。16人のコンペだったが、これだけ軽装のプレイヤーは筆者以外に誰もいない。沖縄の人たちは、日焼け対策もあっていくら暑くても長袖シャツ、長ズボンと相場は決まっている。もともと沖縄の人たちは色が黒いのだから、日焼けを気にするのが何となくおかしい。中には、男性でも日焼け止めクリームを塗っている人もいるのだから、何だかなーである。
 東京での引越し作業で急性喘息になった後遺症もあって、体調は万全ではなかったが、スコアは56,53の109。那覇カントリーはやたらバンカーがあって難しいコースだから、ま、いいか。このゴルフ場は来月から3ヶ月かけて日本プロゴルフトーナメント誘致に向けてコースを改造するのだという。昨年もそうだったから、かなり長期の計画である。その工事の間は、このコンペも来月はパームヒルズカントリー、その後は琉球ゴルフ倶楽部かサザンリンクスゴルフクラブという具合に遠征に出ることになる。腕はシロウトなのに、まるでプロみたいなコースめぐりだが(苦笑)。
 那覇市内にもどり、急いで朝日新聞出版の原稿を書き上げた後、竜宮通りで外国のエアラインを定年退職して沖縄にもどってきたK女史が、本土のほうで週3日間予備校講師を勤める元ウワシン読者を前々から紹介したいという話になっていたので、合流しての飲み会。「権力とは何か」というマジメな質問を受けて困惑。この際だから、「国家と沖縄」みたいな国家権力論でも一冊書くか。売れないだろうが(笑)。その後、桜坂で約束していた沖縄大学O教授と合流。O教授と同じ熊本出身の流れ者Y嬢もいたので一緒に飲む。
 その後、久茂地のDで飲み会をやっていた広告会社長S氏、琉球新報文化部長らもこちらに来てもらって一緒に合流しての飲み会となる。このS社長からは、沖縄で「幕末と琉球」というテーマで大掛かりなイベントをやるため、その相談を受けているためである。1609年の薩摩の琉球侵攻から来年で400年。薩摩出身の筆者としては複雑な気分もないわけではないが、歴史の事実は事実として認識した上で、どう未来に向けたビジョンを打ち出すかが大事である。イベントは今年の秋の予定だというが、どうせやるなら沖縄限定企画ではなく、シンポジウムも全国的レベルで通用する論客たちを呼び、中央メディアでも話題にもなるくらいのものをやったほうがいいのではないかというというのが筆者のアドバイスだが、さてどうなることやら・・・。
 急性気管支炎というか、喘息病み上がりの中で、ゴルフ、酒、少しのタバコ解禁をやったので、翌日は再び、浦添市にある浦添総合病院の緊急センターに行って、レントゲン、血液検査、点滴をやり、クスリを投与される破目に。超人的な筆者の体力にもいよいよ翳りが出てきたということなのか。


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2008.06.19

■6月某日 例年よりも一週間早く梅雨が明けた沖縄にもどる。梅雨入りじたいも二週間ほど遅れたので、今年の沖縄の梅雨期間は一ヶ月もなかったことになる。いくぶんカラ梅雨ぎみだったので、雨量も例年より少なかったようだ。ま、移住者としては、湿気が多く不快指数の高い梅雨のシーズンが短いのはうれしいことだが、これからの沖縄は10月すぎまで長い本格的な夏に突入することになり、いよいよシーズン到来というわけである。
 今回の上京は、新宿のセカンドハウス撤去の大掃除で頑張りすぎたためか、急性気管支炎というか、たぶんハウスダストの吸いすぎによる激しい喘息症状が出てしまうというアクシデントもあった。この症状は、気管支に炎症がおきるために管が狭くなるので息苦しくなり、このまま息が出来なくなって死んでしまうのではないかという恐怖におそわれるほどつらいものだった。朝一番でさっそく病院に行ってクスリをもらって何とか症状は治まったが、この息苦しさは実は三回目の経験だった。もともと気管支方面は昔から弱かった気もするが、一度沖縄でキチンとした精密検査を受けて、根本的原因を調べてみようと思う。今回も息苦しくなるまでは、マスクもしないで埃もうもうの中で平然と作業したのだから、いくらなんでも体力過信で無鉄砲すぎると反省させられた。さすがに今回ばかりは息苦しくてタバコを見るのも嫌になったが、少し体調がよくなると試しに吸ってみたくなり、「まだタバコが吸える大丈夫だ、今日も元気だ」と思うのだから、我ながらまったくの大バカ者である(苦笑)。
 そんなわけで、いつものように連日連夜飲み歩くというわけにはいかなかったが、それでも何件かの予定をこなす。ポスト・ウワシンで再刊を検討してきたメンバーとの飲み会や、最近連載を始めたインターネットの「マガジン9条」のメンバーとの飲み会にも顔を出す。元集英社新書の部長だった鈴木力さんを中心に担当のT女史、新聞記者や編集者のボランティア・スタッフ7人が集まっていた。新宿ゴールデン街 Lで毎月一回開かれている川柳の会の開催日にタイミングがあったので、久しぶりに参加してみたが入賞じたいにはまったくかすりもせず。もはや、筆者の感覚・感性が、亜熱帯の気候に順応してしまったということかもしれない(苦笑)。偶然だったが、元ウワシンスタッフ二人にもあったが、それぞれ元気そうだった。
 今回の上京は、沖縄が梅雨の間にひそかに東京脱出という計画で、まったくの抜き打ちだったが、何だかんだ東京であったメディア関係の知り合いは30人、いや40人くらいだったのではないか。さすがに、上京最終日は引越し作業の疲れや喘息治療のクスリの併用などで、いささかダウン気味で早々に帰宅する。といっても、そこはディープな不夜城の新宿のこと、時間は午前5時だったが(苦笑)。そういえば、「1968年 新宿文化シーン」というテーマの原稿依頼が朝日新聞出版から来ていることを思い出した。ハードな東京滞在から沖縄にもどっても、ゴルフの予定も入っているし、病んでいる場合ではなさそうだ(苦笑)。

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2008.06.15

■6月某日 東京に来ても、引越し作業に追われる日々だ。蔵書をすべてブックオフに引き取ってもらったが、スチール製の6段組みの本箱4個分がびっしり詰まっていたのに、何と総額5000円チョイ。今年3月の事務所閉鎖時も蔵書処分はブックオフに頼んだのだが、10000円台だった。まったく持ってガックリする話だが、本以外の本棚、机、事務用品などは逆にお金を払って引き取ってもらうのだから、それに比べればまだマシということなのか。それにしても、いくらブックオフといえどもここまで値段が二束三文になると、本を出す立場としては、複雑な心境にならざるを得ない。
 それはともかく、東京に居ても、というか居たからなのだが、喜納昌吉参議院議員から赤坂のライブハウスで民主党若手議員だけで内輪の懇親会とライブをやるので来て欲しいとの電話。会場に一時間遅れで到着すると、民主党副代表・石井一氏を中心に一期生の新人20人くらいが真面目に日本の将来を語っている最中だった。この日は、民主党などの野党が福田総理に対する問責決議案を出した直後で、皆一様にホッとした感じで酒を飲みながらの和気あいあい懇親会。民主党議員以外の参加者は選挙プロデューサーのS氏と筆者の二人だけだったので、一瞬場違いなところに来たかなと思ったが、ま、いいかと腰を据えることにする(苦笑)。沖縄であったことのある民主党議員の顔もあったし、ステージで演奏やエイサー踊りをやっているメンバーはだいたい顔馴染みだったので、半分は沖縄のライブハウスで飲んでいる感じだった。
 この場で名刺交換した女性議員の名前を書いておくと、何かと話題の姫井由美子(岡山)、谷岡郁子(名古屋)、牧山ひろえ(横浜)といった面々。何で女性議員だけ名前を書くのかといわれそうだが、ま、派閥立ち上げということではないが、時節柄そう勘繰られる可能性もあるので、あえて伏せておく(苦笑)。ということもあるが、民主党の新人議員はまだ地元以外では知名度も低いし、顔だけで認識できるのはホンの一部の人だけ。名刺交換しても一度ではなかなか覚えきれないタイプが多い。キャラ立ちしていないとでもいおうか。
 その点でいえば、姫井由美子は知名度だけは抜群だろう。その姫井議員に対して「いろいろ書かれているが、片山虎之助を“虎退治“したのは姫井だったから出来たこと。他に誰ができたというのか。参議院はこうした個性的な議員を大事にしなければいけない。これ以上のスキャンダルは困るけど」という石井氏の話が面白かった。さらに、「喜納さんの国会質問は早口になると言葉がよく聞き取れない。ライブでの語りは分かりやすくて面白いのだから、国会でもギターを持って質問すればいい」という爆笑話まで飛び出した。
 石井氏は民主党の中では珍しくコワモテがきくタイプのベテラン議員だが、意外にもスキューバダイビングが趣味で近々沖縄に潜りに来るついでに、健闘した民主党の県会議員たちを表敬訪問する予定だという。その時、喜納氏も一緒にゴルフもやろうという話になる。こちらは、セミリタイアー中の身だから全然ノープロブレムだが、ウワシンで石井氏の事を記事にしたことがあるような気もするので、氏がそれを思い出したらゴルフはお流れになるかもしれないが(苦笑)。

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2008.06.12

■6月某日 約3ヶ月ぶりの東京。すでに梅雨入りしているはずだが、沖縄なみに天気もよく暖かいので、ビックリ。前回来たときは、「沖縄は半袖、こちらは薄手のロングコート」というくらいの温度差があったが、今回はさすがにそれほどの違いがないので、東京生活も快適だ。とはいっても、今回の上京の目的は3月のウワシン新宿事務所の閉鎖に次いで、事務所のすぐ近くに借りていたセカンドハウスの整理という難儀な作業である。このセカンドハウスは会社用の倉庫として長期にわたり借りていたものだが、後半は筆者がウワシンの編集作業に集中するために、平日の職住接近の寝泊先としても利用してきたところだ。それだけに、本や雑誌、資料などが段々とたまり続けると同時に、筆者自身の私物である衣料品、テレビ、ベッド、冷蔵庫など日常生活に必要な備品も置いていたため、引越しも大作業。たかだか、ワンルームマンションなのに、である。
 ウワシン編集室の閉鎖作業は元スタッフやバイトに全面協力してもらったが、こちらは私的に使ってきた部屋なので、基本的に自分自身でやるしかない。本は二束三文のブックオフに引き取ってもらうし、備品もリサイクル業者に一括引き取りを頼んでいるももの、その前段階準備として捨てるものと保存するものの区分けする作業が実に大変なのだ。ひとつひとつ細かくチェックしていると貴重な資料や個人的に大切なものが発見できるのだが、やっているうちに面倒だからドーンと思い切り捨ててしまおうかなーという衝動に駆られてしまう。引越し作業は、その衝動との戦いである(苦笑)。普段からキチンと整理しておけば、こういうこともないのだろうが、生活のすべてを雑誌づくりに集中するような人生を送ってきたので、ま、仕方がない。でも、雑誌を休刊してから生活の拠点を移した沖縄のマンションも似たような散らかしようだから、筆者も7、8年前にベストセラーになった「片づけられない女たち」((WAVE出版)の「男版」ということなのかもしれない(苦笑)。
 まだ、引越・整理作業に着手したばかりだが、思わぬ大収穫もあった。酔ってタクシーかどこかに落としたのだろうとすっかり諦めて、まったく同じものをわざわざ海外の免税店で購入したブルガリの時計が出てきたのだ。お気に入りの愛用品だったので、一生懸命探したはずだが、その時は見つからなかった。ま、いい加減さのおかげで、ラッキーというべきか、アンラッキーというべきか(苦笑)。
 それはともかく、沖縄県議会選挙の与野党逆転劇を見届けてから東京に戻ってきたわけだが、その選挙結果に意を強くしたわけでもないだろうが、参議院ではさっそく民主党が中心になって後期高齢者医療制度廃止法案が決議され、福田総理に対する問責決議案も可決された。マスメディアは、法的には意味がないということや政治の混乱を理由に民主党批判を展開しているが、それは違うのではないか。自民党のこの間のヤリクチこそ紛れもない民意不在ではないか。直近の民意は山口二区の補選であり、沖縄県会議員選の結果ではないのか(苦笑)。もはや政権の体を為していない福田総理が来年の任期まで居座ることも法律上は可能だが、喜ぶのはしたたかな官僚組織であり、犠牲になるのは国民の側ということは明白である。問題は世論の動向であり、民意がどこにあるかではないのか。メディアの諸君も自民党幹部や官僚の言い分を鵜呑みにせず、韓国の米国産牛肉の輸入規制緩和で100万人の反政府デモが盛り上がり、世論の動きが李大統領の政策を変えて全閣僚の辞意表明につながった隣国の実例から少しは学んだらどうなのか。

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2008.06.09

■6月某日 沖縄県会議員選挙の投票と即日開票が行われた。その日も、しっかりとカヌチャゴルフに出かけ、那覇市内にもどってからNHK沖縄放送局の選挙速報番組を見る。すでに沖縄県内だけではなく、全国放送でも報道されたとおり、自民・公明22人、野党・中立系が26人で、与野党逆転の選挙結果となった。たかが一地方自治体の選挙といえども、東京から各党の党首クラスが次々と沖縄入りしたことでも分かるように、今回の県議会選挙は、暫定税率再引き上げや後期高齢者医療制度などを推し進める政府に対する県民の批判や怒りがどう反映されるかとういう、民意を問う選挙でもあった。それだけではない。沖縄には広大な敷地を占有して、まるで治外法権のようにふるまって事件やトラブルを繰り返す米軍基地という存在がある。否が応でも沖縄は、日米軍事同盟、日本の外交と無関係ではあり得ない特殊事情下に置かれている。沖縄県議会で与野党が逆転すれば、辺野古に建設が予定されている新基地計画においても多大な影響が出るからだ。
 選挙結果についてはあらためて書くまでもないだろうが、特筆すべき点だけ上げておこう。まず、投票率は57・82パーセントという過去最低の数字だったことだ。にもかかわらず、資金力と組織力を誇る最大党派の自民党が惨敗したことの意味は大きい。連立パートナーの公明党は3人の公認を全員当選させていることから見ても、福田政権の逆風を自民党がモロに受けたということである。ハマコー(浜田幸一元衆議院議員)を起用した、自民党の後期高齢者医療制度をバックアップする電通CM戦略も、県民の怒りと不信感を取り除くまでには至らなかった。というよりも、これはいくらなんでも沖縄県民の気持ちを逆なでする効果しかなかったのではないか。むろん、それだけではなく、自民党を支えてきた建設業界が建築基準法改正による大幅工事減少に対する対して県そのものがまったくの無策だったし、談合事件の処理や公共事業そのものの減少といったことで、結束力をダウンさせたという背景もあったはずだ。
 それに比べてこれまでほとんど沖縄県議会においては影響力のなかった民主党が4人の公認候補を全員トップ当選させたことが注目される。沖縄においては、社民党や社会大衆党といった従来からの革新政党が強い土地柄だけに、民主党としては無党派層の取り込みや全国的な風頼みという側面があった。しかし、低投票率にもかかわらず画期的な勝利を収めたことは、全国的な政権交代の流れに沖縄もそれなりの影響を受け始めてきたということだろう。共産党もこれまでの3人を5人に増やした。その代わり、沖縄の地域政党である社会大衆党が議席を減らし、委員長の喜納昌春氏が落選するというアクシデントもあった。これも、沖縄を取り巻く政治状況の変化、時代の流れということなのかもしれない。
 それはともかく、今回の選挙が今後の沖縄県政に与える影響は少なくないはずだ。仲井真知事もこれまでのように、与党多数派のサポートに支えられた覇気のない議会対策や対政府交渉をいつまでも続けるわけにはいかなくなるはずだ。知事選の公約実現に対する意欲もいささか喪失ぎみだったが、それもこれからは成果を出すことでしか議会側を説得することはできないだろう。言い方を変えれば、県民党的な立場で沖縄県民の総意を毅然として政府や防衛省・外務省などに突きつける方向にシフトせざるをえないのではないか。辺野古の新基地建設計画も、場合によっては建設じたいの凍結や国外・県外移転に方向転換せざるを得なくなるかもしれない。沖縄にとってはこうした流れは決して悪いことではないというのが、県議選を終えた筆者の個人的見解である。

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2008.06.07

■6月某日 霞ヶ関の役人たちが、深夜帰宅に利用するタクシーから相応の見返りの便宜供与を受けていたことが問題になっている。夜の10時頃になると、東京の個人タクシー、通称デンデン虫が中央官庁街をずらりと取り囲んで、役人の客を待っている姿は昔から霞ヶ関名物のひとつだった。そんなに深夜まで残業するほど仕事があるのか、単なる残業代稼ぎとタクシー帰宅が目的で居残っているだけではないかという疑問を当時から感じていたが、タクシーチケット使い放題だけではなく、キックバックまで受け取っていたというのだから、国民に奉仕するべき役人のモラル喪失は目に余る。しかも、今回の震源地となったのが、消費税率引き上げを主張している財務省。額賀大臣の他、与謝野馨、谷垣禎一らが消費税率引き上げという財務省や財界の意向にそそのかされた発言しているのは明らかである。だったら、このタクシーチケット制度を自ら廃止してから、消費税云々をいう前に徹底した無駄遣いをやめるではないのか。こうした官僚のモラル喪失は、今や霞ヶ関官庁のあらゆる組織に蔓延していることの象徴的事例といっていい。
 こうした状況下で注目されているのが、沖縄県会議員選挙。いよいよ、明日は投票日である。今回の選挙の最大の争点は後期高齢者医療制度の廃止か否か。沖縄県では、後期高齢者の医療費が据え置きか、もしくは負担増の人の割合が64パーセントと全国一なのだという。今回ばかりは、基地問題よりもこちらが争点となっており、自民・公明もかなりの危機感を強めている。特に、自民・公明に支えられた仲井真知事は、与野党逆転になれば、県政の運営に支障をきたすと必死になって訴えている。ハマコーこと浜田幸一を起用した電通戦略のCMもジャンジャン流されている。地元紙の世論調査によると、自民支持が約24パーセント、民主支持が約14パーセント、以下社会大衆党が約5パーセント、社民党が約5パーセント、公明党が約4パーセント、共産党が約3パーセントという大体の数字が出ているが、問題は無党派の動向と投票率次第だろう。個人的には地方自治体の選挙といえども与野党逆転したほうが、県議会の論戦も活発化するだろうし、次の衆議院議員選挙での与野党逆転にも繋がるはずである。東京から各党の党首クラスが沖縄入りしているのも,そうした重要な選挙であるということの認識があるということだろう。
 話は変わるが、米国産牛肉の輸入の緩和という政府の方針を撤回させた韓国の李明博大統領に対する大規模デモの盛り上がりは凄かった。在韓米軍の基地問題に関しても、日本とは意気込みが違う。後期高齢者医療制度、いまだ放置されっぱなしの社会保険記録消失問題、暫定税率再引き上げに続くガソリン代の高騰、それにかかわってきた官僚たちの腐敗ぶりを見ていると、この国でも暴動デモのひとつくらい起こって不思議ではない状況に思える。しかし、もともと、お上には忠実な国民性というDNAの問題もあるだろうが、何事も諦めて腑抜けになりすぎた日本人という問題を根源的に考えると、絶望的気分に襲われてしまう。しかし、少なくとも食糧自給率問題でも象徴的なように日本を駄目にした政府・霞ヶ関に対しては、選挙という手段を通じて、はっきりと「NO!」を突きつけるくらいの意思表示をやるべきだ。それも、沖縄が先陣を切って、政権交代への流れを突きつけることに大きな意味があると断言しておきたい。


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2008.06.05

■6月某日 中国人監督による映画「靖国 YASUKUNI」に対する自民党タカ派の稲田朋美議員らの抗議が引き金になって、一部の映画館が自主的に上映中止を決めたことで表現介入として論議を呼んだ事件は既にご存知だろう。映画の内容が反日的だという言い分から、この映画で中心的に描かれる靖国の「御神体」をつくる刀匠本人が公開を了解していないので肖像権侵害だとか、文化庁の750万円の助成金は不当であるといったものまで、イチャモンの理由もさまざまだった。その発端を作ったのは、例によって「週刊新潮」のアジ記事だった。いずれ沖縄でも上映される予定と聞いているのでその時に見ようと思っている。何せこちらでは、週刊誌も3、4日遅れだし、この映画も東京からの物理的距離以上にかなり遅れて7月に公開される予定だという。これも、沖縄の置かれた現実である。
 そんな中、東京では二年ほど前に上映された昭和天皇・ヒロヒトを描いた「太陽」が桜坂劇場で上映されたので見に行く。見方によっては「靖国」以上に天皇そのもののタブーに肉迫した映画といえるが、監督がロシア人のアレクサンドル・ソクーロフトいうこともあったせいか、「靖国」のようには騒がれなかった。舞台は太平洋戦争末期で、米軍の空襲で破壊された皇居の地下防空壕における天皇の生活が中心に描かれる映画だ。もっぱら天皇役のイッセイ尾形と侍従長役の佐野史郎の会話のやり取りで物語は進み、敗戦が確実になった天皇の不安におびえる日常が淡々と描かれる。口をもごもごさせるイッセイ尾形の微妙な天皇の演技にも苦笑させられる。東京も下町を中心に米軍の激しい空襲で焼けの原となり、皇后や皇太子は皇居を離れて地方に疎開していたという事情もあって、天皇の孤独は、「私以外の日本人はみんな死ぬのではないか」というセリフとして表現される。
 御前会議では、軍部は本土決戦で最後まで闘う意思を示すが、天皇は自ら人間宣言して終戦を決意する。桃井かおり演じる皇后と久々に再会した天皇のぎこちなさが滑稽である。やがて、日本を占領した連合軍総司令官・マッカーサーとの会見という歴史的瞬間を迎える。GHQ本部と思われる場所で二人だけのワインや葉巻を楽しみながら、お互いの腹の探りあい的な会談のやり取りが興味深い。天皇が映画で描かれるほどに英語が堪能だったかどうかはわからないが、相互の意思が通じたのかマッカーサーによって天皇は戦犯として裁判にかけられることもなく、新憲法下における国民統合の象徴として生かされる方向性が決まる。
 すべてが事実に基づいたものではなく、監督が関係者から集めた証言などから物語として作り上げたフィクション映画である。神格化されてきた天皇も孤独な一人の人間だったという描き方を見れば、右翼・民族派としてもイチャモンのつけようはなかったのかもしれない。この全体的に暗いトーンの映画を救っているのは、随所に散りばめられた天皇の茶目っ気のある、笑えるシーンなのかもしれない。現実にそうだったかどうかはべつにしても、だが。
 この映画だけでなく、「靖国」もしかりだが、公的メディアにおけるあらゆる表現行為は基本的に自由であるべきというのが筆者の見解だ。もし何らかの問題があるとすれば、メディア側はあらゆる社会的なリアクションを引き受ける責任を負っているからだ。公開されたものに関しては、抗議や法的訴訟などのトラブルから経営上のリスクまでメディア側としては社会的責任をとらざるを得ない。ネットの無責任な匿名の書き込みとは、そこが根本的に違う点だ。第二次世界大戦でA級戦犯として絞首刑に処せられた東条英機を好意的に描いた「プライド」という映画が話題になったこともあった。どうせ、靖国神社の境内にある就遊館のコンセプトと同じ大東亜戦争肯定論の映画であることがわかっていたため、筆者はあえて見なかった。例え、歴史認識が間違っていると思われるトンデモ映画だろうと、それをつくる事じたいを阻止する事はできない。しかし、それを批判することや映画を見ないという自己選択は自由なのだから、憲法21条に規定された「表現・言論の自由」は絶対的に守られるべきというのが筆者の見解である。それでも、やっかいなのは右翼の街宣車やトラブルを恐れて、自主規制、自粛するという空気の方である。しかし、この天皇制をタブー視しなかった映画「太陽」を見れば、その空気は単なる思い過ごしにすぎないことが分かると思うのだが・・・。

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