■5月某日 沖縄は復帰40年でフィバーともいえる報道やイベントが連日のように行われた。特に復帰40周年の5月15日には、東京からも大手メディアが大挙して押しかけてきた。40年復帰記念式典には野田総理以下の政府要人が自衛隊機チャーター機で参加した。しかし、沖縄は復帰して40年、米軍基地はほとんど微動だにしていない。72年の「本土復帰」以降も、沖縄から海兵隊が(米国本土に兵隊が送られ訓練を経た後、戦地の送られる場合もある)ベトナム、イラクやアフガンにも飛び立った。沖縄の平和・反戦運動の裏側では、米国による殺戮の軍隊の拠点だったという事実も忘れてはなるまい。72年の「本土復帰」は、基地のない平和な島という県民の悲願とは程遠い「核抜き本土並み」という虚構のイベントだったのだ。返還に関する密約を取り交わし、日本国民や沖縄県民を騙す背信行為だったのだ。核、生物細菌兵器、枯葉剤などが復帰した沖縄に持ち込まれた疑惑は公然とささやかれてきたのに、いまだに国家機密として公表されていない。その事実を疑う材料には事欠かないにもかかわらず、だ。日本には米国並みの国家機密の公開を義務付ける法律も官僚の抵抗で成立していない。とんでもない民主主義国家の内実なのだ。
5・15で、復帰式典に来賓として招待された鳩山由紀夫元総理に式典前に時間を取ってもらい、沖縄の有識者懇談会ともいうべき、内輪の懇談会を開いた。喜納昌吉元参議院議員が鳩山氏に声をかけ、その人選と司会・進行は筆者が務めた。沖縄の新聞社幹部、大学教授、文化人、企業人ら20名程度で、鳩山氏が普天間基地の県外・国外移設を掲げたにも関わらず、その後挫折したいきさつ、普天間問題や民主党の現状を本人から直接聞こうという試みである。建前上はオフレコなので詳しくは書かないが(苦笑)、鳩山氏自身が「自分は政治家に向かない」と語るように、実直な人柄だった。なぜ、最初から県内移設で突っ走った北沢俊美氏を防衛大臣に起用したのか。米軍基地抑止論を言い始めたのは岡本行夫氏の影響ではないか。東アジア共同体を掲げたことで、米国から圧力を直に受けたことはないのか、などの真意を聞いた。鳩山氏は今でも普天間基地の県外移設は正しかったが、私の力が及ばなかったということを率直に詫びていた。
鳩山氏に対する大手メディアの論調は一様に批判的だが、少なくとも普天間基地の県外・国外移設を堂々と主張した総理は初めてである。今や、仲井真知事を含めて沖縄県民の8割が県外移設を主張しているが、その先鞭をつけたのは鳩山氏なのだ。鳩山氏はイラン訪問でもバッシングされたが、鳩山氏は民主党外交担当最高顧問という肩書で、米国が敵視するイランとの融和で動いただけのことである。日本はイランとは石油で大きな取引関係があるだけに、米国の道ずれでイランとの関係を断つよりもはるかに国益にかなうのではないのか。米国の意向を汲む政治家、官僚、メディアこそが鳩山叩きの元凶なのだ。
その日の夜は、インターネットTV「ニコニコ生動画」が沖縄にやってきて、ラジオ沖縄のスタジオから全国に放送された。復帰40年で、現地から沖縄問題を語ろうという画期的な試みだ。司会は角谷浩一氏(政治ジャーナリスト)で、ゲストは吉元政矩氏(大田県政時の副知事)、金平茂紀氏(TVキャスター)と筆者の三人。復帰40年を自分の目で見ようと沖縄にやって来ていた金平氏は、筆者が口説いて急遽実現した。当日の県と国が開催したコンベンションセンターの式典の模様を批判的に取り上げつつ、基地問題を語る。「ニコ生」にしては硬派すぎたかも知れないが。式典でもっとも印象的だったのは上原康助元衆議院議員が来賓の野田総理やルース駐日大使を名指しで、沖縄の基地の現状を手厳しく訴えたこと。美辞麗句の式典が一挙に暗転したが、地元紙は別にしてTVメディアや全国紙の式典報道では上原発言はいずれも取り上げていなかった。翌日の新聞報道で驚いたのは式典に参加した野中広務元官房長官が式典で鏡割りに指名されて壇上に立った鳩山氏に対し、「沖縄県民に泥を塗ったような人が壇上に上がっていることは、腹わたが煮えくり返る思いだ」とコメントしていたことだ。自分が壇上に呼ばれなかったせいかもしれないが、沖縄をさんざんかき回した張本人に言われたくはない、と当方も代理でコメントしておこう。
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